人を信じなくていい。自分を信じる。

僕は今日、
信頼している人たちと触れてきて、
仕方のない疲労感と、
いつもの反省会をした。

疲れているのに、
頭のキレがないのに、
思考は止まらない。

反省会は気持ちの良いものではないけれど、
今回はそうでもないらしい。

眠たいはずの夜中の、
疲労とともにある覚醒。

興奮とひらめき。

そんなものがあった。

今回の僕は生産的な思考ができていた。

反省会は後悔ではなく、
どのようにしていくかという、
戦略会議だった。

今までの僕

人に触れたときの僕の後悔は、

「こうできたらよかった」

というものもあったけれど、

基本的には僕がした行動への人の評価が気になるというもので、
基本的には良い評価が下っているとは思えなかった。

嫌われていないか。

これが大事だった。

自分への評価が期待できない理由

僕は幻聴妄想が強い。

疲れるときはさらに強い。

悪口陰口が人と接するときは常にある世界で生きている。

僕が何をしても、何か言われる。

良いことを言われても、

上げて落とされる。

結局僕は他人のおもちゃのような感覚を持っていて、

笑いのネタでしかないように思える。

信頼している人は、
何かを言われても、
辛くても、
結局は信じると決めている。

うまく行かないけど。

他人は僕に良い評価を下すことは想像できない。

女性からの好意を感じるときもあるが、
僕からのアクションがなければその気持ちは逆転するように思えてしかたがない。

僕は軟派には慣れないので(頑張った結果、何もできなくなることはあるが)

不埒な気持ちでアクションを起こしたくない。

結局は、嫌われても仕方がないと思っている。

誰からも相手にされない容姿ではない気がするが、
逆に、女性の好意が怖い。

信じていいのかわからない。

きっとこういうのはお互いに近づかないといけないとは思うのだが、
僕は身構えてしまう。

困ったなあ。

まとめると、
僕は人から良い評価が下ると思えていない。
人は故意でも、無意識でも、
悪口は言うもので、
他人とはそういうものだと思っているから、

つまるところ、
僕は、
人間不信である。

人を信じなくて良い。自分を信じる。

今日の僕は、
人間不信で困っているということは、
重々承知でした。

もう、僕にはどうにもできない。

諦めがありました。

だから、

人間不信でもよくない?

という仮定で考えた。

人を信じられない。

僕に良い評価を下すと、
人はそういうものだと信じられない。

あれ?

これは、
「僕が人に良い評価を下されるような価値がないと思い込んでいる」
ということではないかな。

ああ、そうか。

人を信じる必要はなくて、
自分を信じればよかったんだ。

僕は価値のある人間なのだと。
生きてて良いのだと。
他人と同じ空間に居る価値のある人間だと。

自分を信じられれば良かったんだ。

自分は価値がある。

たとえ、実際は人が僕に価値はないと評価を下そうとも。

僕は、
僕であるというだけで、
価値を提供しているのだと。

その価値は僕が決めるのだと。

強く信じたい。

ああ、そうか、

僕は人間不信ではなく、自分不信だったのか。

だから僕は、
人を信じるのではなく、
自分を信じよう。

自分を信じられたら、
人を信じられるから。