今日の気づき 答えに苦しんでも冷静に 正直に

母とぶつかってしまった

母と衝突した。

衝突した後に父に「なぜこうなるんだろうか?」と聞いたところ
似たもの同士だからと言われた。

僕もそう思う。

負けず嫌いなのだ。

お互い負けたくないから最後の一刺しをお互いにしてしまって、
話が終わらない。

どちらかが何か(最後の一刺し)を言って会話を終わろうとすると、
もう片方が追撃をして会話を続ける。

繰り返し。繰り返し。

僕が自分の意見を言い、
その意見が気に入らない母が批判的視点で指摘をするという構図だったが、
母が厳しい指摘をして僕が答えに苦しみつつ反撃、
ヒートアップした。

答えに苦しむからと言って怒ってはいけない

「その根拠はあるのか?」

という質問にうまく答えられず、
少しずつヒートアップしてしまった。

テスト勉強をしているわけではないから、
細かいところまで覚えてないよ!

というところが本音だが、
やり返すという形になってしまった。

ただ、答えられないなら冷静に受け止めて、
「細かく覚えてないけど」と言うこともできただろうし、
母のヒートアップにも付き合わなくてよかった。

誰かの言うことに洗脳されてはいないか

僕なりに調べたし勉強もした。

ただ、その中でこの人の言うことは信じれると思う人も出てくるし、
自分の考えに近いという人も出てくる。

その人の話を聞いていると前提知識がある前提で話されることや、
主観での断定が出てくるのですが、
割とそれを信じてしまいやすい。

僕もそうなっていた。

母に「根拠は?」

と問われて確かになと思った。

考える必要のない前提をどこまで突き詰める必要があるかはわからないが、
確かに自分で裏を取るというのは必要かもしれない。

そのうえで多少の断定や主観が入るのは当然のことだし、
法律を扱うわけではないので、
個人の意見の範疇だろうと思う。

みんな時間のない中で何かを調べるわけだから、
断定になるし、
母も自分は勉強してないけどと言いつつ僕に指摘をするので、
そういうものだと思うが、

「根拠は?」と自分に問うて、
できる限り調べたいと思いました。

Youtubeは似た人をお勧めに出してくるので、
考えが偏ってしまうものだが、
そうして自分の考えが根拠をもって凝り固まってしまう。

Youtubeのお勧めは便利だが、
批判的な視点もYoutubeに向けたいものである。
yahooニュースにのコメントには多様性アシスト的な機能がついているが、
自分で勝手に多様性アシストしたいものだ。

批判するばかりの人間にはなっていないか

「批判するなら代案を」

以前聞いた友人の言葉を要約したものだ。

確かになと思ったのだ。

否定ばかりして、それに対抗する代案がないと、
イヤイヤっ子になってしまう。

イヤイヤ言うだけで自分がどうしたいのかわかってないのだ。
もしくはあっても言わないのか。

どちらにせよあまりよろしくない。

僕も以前友人との会話の中で、
批判的な立場をずっととっていたことがあった。

よくわからないけど怖いから否定する。

よくわからないけど○○だから否定する。

感覚で素直に受け入れられなくて、
なんとなく否定してしまう。

「なるほどね。そうだよね」

分からないなら否定から入らない方が良いと思うのだ。

違うとはっきり言えるならそれは、
きちんと理由があるけれど、

理由がないのになんとなくでそれまで一生懸命考えてきた人の意見を否定するのは違うと思った。

考えから偉いわけじゃない。

でも、その努力を評して、
まずは向き合って聞く、
受け止める。

大切にしたい。